コラム
コーヒーのある日常 #8「私が私であるために」with Cottea No.160
2018.07.06

コーヒーのある日常 #8「私が私であるために

目の前からやって来たのは、人波、どころではない。人の濁流だった。

渋谷のスクランブル交差点は、歩行者用の信号が青になった瞬間、堰を切ったように人で溢れかえった。ぼーっと突っ立ってその目の前の光景に圧倒されていると、後ろにいた人にぶつかられた。そこでようやく、私は、前に進まなければ行けないのだ、という事に気付く。

テレビの定点カメラで見るのと、実際に自分で立つのとでは全然違う。私は次々とやってくる様々なファッション、年齢、人種の人たちの流れの中で、溺れてしまいそうだった。困惑していると、いつの間にか信号は赤に変わっていた。周囲の人は急いで私を抜かして渡っていく。取り残された私は、やってきた車にクラクションを鳴らされて、いそいそと渡りきった。

渡りきった私は、正面にある建物の壁際に避難した。泣きそうだった。

 

田舎にある実家で暮らしていた私は、今年地元の大学を卒業し、四月から東京で働き始める。

昨日引っ越し作業が終わったときは、東京で、新しく社会人生活が始まる、ということで希望に満ちあふれていた。今朝、起きたときもその興奮は残っており、その熱に浮かされて「渋谷でもぷらぷらしてやるか」と、意気込んでお気に入りのベージュのスプリングコートを羽織って意気揚々と外に出た。

 

しかし、今、その熱は、千人千色の雑踏の中で、跡形も無く消え失せてしまった。

目の前では、絶えず人々がそれぞれの方向に向かって歩いている。当然、同じ人、は、いない。私は、急に、自分の名前が何者かに剥奪され、代わりに「通行人A」にでもなってしまった気がした。たくさんの人の中、このまま私は東京に埋没してしまうのではないか。

この場に居続けたら、本当にそうなってしまいそうだったので、私は、とりあえず、半分放心状態で歩き出す。レンタルDVD屋や本屋の入っている巨大なビルを左手に真っすぐ歩き、交差点を渡って、宮益坂を上り、青山通りに出た。春になりすっかり元気になった太陽が私に襲いかかって、体力を奪って行く。

ふらふらと、そぞろに歩いていると、一軒のコーヒーショップの前にやって来た。

ふと、私は足を止める。

外壁はガラス張りで、上方には「cottea」と書かれた看板。これがお店の名前、らしい。ネットで調べてみると「コーヒー試飲専門店」と書かれたwebサイトが出て来た。サイトに書かれていた説明によると、ここでは「あなたにとって最高の味」を見つける事ができるのだそうだ。歩く事に疲れた私は、その店に入ってみる事にした。

お店の中は、白を基調にしたシンプルな内装で、コーヒーの香りがふわりと漂っていた。L字形の木でできたカウンターには、ペーパードリップのためのドリッパーと、電気ポットが並んでいる。店の奥にある機械は、恐らくロースター、だろう。

入って左側の壁には、「苦味」「甘味」「ボディ」「酸味」の四項目が書かれたチャート図があり、そこには番号で分けられたコーヒーがプロットされていた。

3種の飲み比べセット、というのがある。これで、自分の好みの味を見つける、らしい。

私は、店員さんにお任せして、なるべく方向性の違う3種類を淹れてもらった。

カップに注がれた3種類のコーヒーは、よく見ると、色が全然違う。店員さんが「香りもかいでみてください」と言ってくれたので、かいでみると、なるほど、確かに、違う。味は、コクがあるもの、フルーティーなもの、苦いもの、三種三様だ。コーヒーって、こんなにバリエーションがあったのか。

地元にいたときからカフェに行くのは好きだったが、そう言えば、コーヒーの味をじっくり考えた事は無かった気がする。私は、自分の感覚を総動員させて、一つひとつのコーヒーを、味わった。

店の外の通りには綺麗に咲いた桜の木が並んでいた。

   

帰り道、私は、再びスクランブル交差点にやって来た。

赤信号で止まっていると、対岸には、さっきと同じ、たくさんの人がいた。信号が青になったら一斉に押し寄せてくる、人、人、人。

これから、私はここで生きていく。たくさんの人、の、中、埋没しないように。私は、常に私でなければいけない。

間もなく信号が青になる。私は、バッグの中、コーヒー豆が入った袋に触れる。さっきのお店で選んだ「私が美味しいと思う」コーヒー。No.410。

「私にとって最高の人生」を、これから、見つけていこう。

信号が青になる。

私の足は、軽やかだった。

 

ほのかな苦みをベースに、熟した果物のような酸味がバランス良くとれたCotteaNo.410

あなたにとって最高の一杯のため。Cottea